崇福寺(そうふくじ)

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当寺は、詳しくは、「横岳山勅賜萬年崇福禅寺」といい、臨済宗大徳寺派に属する。

仁治元年(1240年)筑紫郡大宰府町横岳の地に随乗坊湛慧(ずいじょうぼたんえ)禅師によって創建された。

翌年、聖一国師が宋より帰朝されるや湛慧は国師を迎え 開堂演法を請う。国師は宋の経山佛鑑禅師より授かった「勅賜萬年崇福禅寺」の八文字を 堂々と揚げ、ここに崇福寺は名実共に成立した。

天正14年(1586年)岩屋城落城(島津、大友氏の戦)の際、兵火によって堂塔伽藍、 重宝、什物等創建以来三百五十余年にして勝禅院のみを残し 悉ことごとく鳥有に帰したが 、その跡に近年、仏殿、開山堂、禅堂、侍物寮、書院、山門、中門等が 大宰府別院として再興された。

慶長5年(1600年)黒田長政公が筑前国主となり大徳寺春屋和尚の請により復興を計画 、大宰府は不便につき現在地に移し、雲英、江月、江雲和尚の三代にわたり総門、御成門、 山門、仏殿、方丈、庫裡(こり)、書院、衆寮、開山堂等の伽藍が造営再建され、 慶長17年(1612年)博多の巨商島井宗室の寄進により塔頭瑞雲庵(開山大應国師) 再興。

元和元年(1615年)心宗庵(当寺5世、大徳寺開山大燈国師塔所)再興。

寛永元年(1624年)に久野重剛が檀越となって正伝庵(大徳寺一世大現国師塔所)再興。 又、長政公より寺領として三百石、開山堂領として五十石寄進され、境内は東西が 馬出まいだし口より石堂際、南北が大通りより海浜までと広大な寺領を有し、大徳寺末、 筑前の触頭寺院として末寺、末々寺合わせて三十七ヶ寺を配下に置き、歴代藩主の 菩提寺として面目を保ったのである。

明治になると大政復古となり、本寺も無禄無檀の為、荒廃し明治11年には三塔頭も本寺に 合併廃寺となった。

明治28年、玄外和尚当寺に住されるや、境内の整備をされ、同39年、当寺の本堂を移して 心宗庵を再興、更に崇福寺に本堂、庫裡再建。福岡城より本丸表門を譲り受け、 山門とするなど伽藍の再建に尽くされた。又、昭和6年には、維精和尚によって開山堂が増築され、昭和10年には鈍外和尚によって雲水 (修行僧)育成の機関として専門道場が設けられるなど旧観に復することが出来た。

平成4年1月1日 山主 白

スポット概要
スポット名 崇福寺(そうふくじ)
カテゴリー 歴史 福岡博多エリア 観る
アクセス 福岡市営地下鉄「千代県庁口駅」より徒歩3分
ホームページ
所在地 福岡県福岡市博多区千代4-7-79
電話番号 092-651-0398

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